読谷在住の某演奏家。30年来の付き合いである。

最後のお願いだからと俺の思う通りの三線を作ってくれと頼まれた勝武さん

渋々付き合っていたが仕上がった三線の音色は素晴らしく

「写真と記録をとっておけよ」と言われ

「腕が覚えているから大丈夫」と答えた勝武さん。「もうそんな歳ではないよ。」と某演奏家。

2人のやり取りを見ていると琉球王朝時代もこんなやり取りをしながら三線は作られていったのだろうという気がした。

三線は中国から久米36姓とともに琉球にやって来たそうだ。

長棹の中国三線は徐々に現在の三線に形を変えて来た

某演奏家と勝武さんとのやり取りのようなことがあったのだろう。

演奏家と三線職人との切磋琢磨はとても大切なことだと改めて思える出来事でした。

某演奏家は息子と2人会の歌会を計画中

チケットを2枚予約した。

あの音色聴くのが楽しみです。